肺ガン患者さん。こんばんは!
これは「アホ」な私の人生観なのですが、
私たちは自分の人生を生まれるときから死ぬときまで、
すべて事細かにシナリオに書いて来たと思っています。
親も名前も、生年月日も、男に生まれるか女に生まれるも
兄弟の構成も、あるいは親戚がどういう人で、
隣のおじさん・おばさんがどういう人であるか、ということさえも、
全部含めて自分で選び、シナリオを書いて生まれてきたと。
未来が確定的に存在しているということは、
今その人がどのような意志を持って生きているかということとは関係なく、
必ずその出来事が起き、その事件が起きるのだ、ということです。
私たちがガンを持ったということも、自分で書いたシナリオ通りなのです。
突き詰めていくと、こういう結論になります。
「私たちの人生はすべて決まっている。
しかも、それは全部自分が生まれる前に書いたものである」と。
間違いなく私たちには未来があり、
その未来のシナリオどおりに自分の人生が進んでいるのであれば、
じたばたする意味がない。
これ以上じたばたしても仕方がない、ということになります。
すべては自分の書いたシナリオ。
ですから私たちは自分の人生について
何も考えずに生きていってよい、ということなりますよね。
ただ、たった一つだけ考えていることがあります。
それは「念を入れて生きる」ということです。
「念」という文字を分解すると、「今」の「心」と書いてあります。
「今」の「心」とは、ただひたすら今を大事にする心であり、
今、目の前の人を大事にし、
今、目の前のことを大事にするということに尽きるのです。
それが、私が今考えながら生きている唯一のことです。
自分のシナリオどおりに人生が存在していると思っているので
過去どのような選択をし、どのような判断をしたかについても、
何一つ悔やむこともなく、反省しないのです。
すべての選択、すべての判断が正しかった。
同時に、未来、これから、どういう状況になろうが、
そこでどちらを選ぼうが、右を選んだら幸せになるか、
左を選んだら幸せになるかというふうにも考えません。
選びたい方のどちらを選んでもよい。
どちらを選んでもよいのですから、
正しいか、正しくないかではなく、どっちが楽しいかで選びます。
で、選んだものが必ずや自分のシナリオ。
未来は必ず自分が書いたシナリオどおりに進んでいくのですから、
未来について心配する必要はありません。
ですので、死ぬことにも心配も恐怖もないです。
ただ、ただ、自分で書いて来たシナリオ通り。ようするに、寿命です。
だから、頑張っても、もがいても、無意味です。
「念を入れて生きる」
今、目の前の人を大事にし、
今、目の前のことを大事にするということ。
私の目の前には、いつも愛妻がいます。
わたしは愛妻をとっても大事にしています。
わたしは愛妻が考えたこと、意見を大事にして、
やるべきことをひたすら大事にやっていく。
わたしの人生はただそれだけです。
これが「アホ」な私の人生観なのです。