「空腹」のあとの「おいしさ」、「寒い冬」のあとの「春」、「暑い夏」のあとの「秋」。
「つらさ」の奥にある「喜び」、泥水を栄養として咲く蓮の花。
幸せは一見、不幸と見えることの中に隠れており、辛い事の後にやってくるようです。だから「ガン」になったことは、その後、「ガン」になった人だけが味わえるとっても素敵なプレゼントを神様がご用意してくださってると思いました。
神様はチャンスを与えて下さるときに、必ずピンチを添えて与えるんです。
みんなはピンチの方ばかりに気をとられてしまうんですが、
そのときこそ実はチャンスを与えていただいているんですね。
そして、ハードルの向う側の宝の山から、
「早くそのハードルを飛 び越えてこちらへいらっしやい。あなたなら必ず出来るのですから」 と、その人に御利益をお与えになる前に試練を乗り越える体験をさせ 、心を磨かせることによって、少しでも早く真の人間的成長を遂げられることを心から願っておられる。
だから、「ガン」になってよかった!
そして、ガンを持ちながら生きる人は、決して「運の悪い人」ではなく、
しばしば誤解されるように、
「過去生で悪いことをした報いを受けている人」でもありません。
なぜなら意識体(人)としての自分が宿る肉体そのものに、試練を与えながら生きるというのは、この物質世界で人間として生きるうえで、最も困難な挑戦課題のひとつである。
それほどの試練に挑戦するに値する、よほど発達した意識体(人)のみに、そのチャンスが与えられるはずだからです。
したがって、ガンや重い病気やハンディキャップを持つという、高度な試練に挑戦している人は、人間としての卒業試験を受けたり、卒業論文を書いているような、それほどの学びを積んだ素晴らしい人であり、勇気あるチャレンジャーなのです。
困難やつらい事も、ガンも「神様が、私を鍛えてくださっているんだ。」
あるいは「功徳を積まさせていただいているんだ。」という風に考え、乗り越えた時には前より人間的に成長しているわけです。とっても嬉しいことですよね。
このように困難やつらい事も「ありがたい」と受け取ることができ、楽しく治療に向き合えるようになりました。
ということで、「ガン」とわかった時、
「今度は神様が何を教えてくれでいるんだろう。」と考えてみて下さい。
僕も、今、その答えをとってもワクワク期待しながら模索中です。