一緒に楽しく治そう!悪性リンパ腫(ガン)
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一緒に楽しく治そう!
+パパと「悪性リンパ腫」物語+

by linda whom papa loves 
パート1:病名は「悪性リンパ腫」非ホジキン:びまん性大細胞B型 ステージ4
12章:退院。そして外来治療へ。

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幹細胞の採取がおわった次の日。パパの白血球数値は、なんと70000!通常の人の20倍程度だろうか。明日、白血球数値が半分になっていたら、外泊してもいいという許可がでた。1月22日、白血球の数値が35300まで下がってた(スゴイ!!)餃子と塩タンが食べたいというパパに、たらふく食べさせてあげたい。300はオマケしてもらって昼過ぎの飛行機で帰ってきた。

1月28日から5回目の抗がん剤治療。なのに「もう退院するからねぇ〜」とか言ってるけど本気だろうか?パパのことだから、本気なんだ。去年のおわりごろ、3回目の治療後にはほとんど腫瘍がなくなって、ちょうど4回目の治療が終わったころから、主治医の先生の助手の先生に「退院させてください。理由は、食事がまずいから。」とかいって、交渉していたのは知っていた。でも歩けないし、6回が終わらないと、退院させてもらえないだろうと思っていた。でもパパは、きっと退院したくてたまらないから、絶対帰ってくるという気もしていた。次の日「明日かあさって退院するからね〜」という電話があった。主治医の先生といっぱいいろいろお話してOKをもらったらしい。あと1回の抗がん剤治療、2回のリツキサン投与は通院ですることになった。

1月31日、パパ退院!とりあえずは、本当に良かった。約3ヶ月半のあいだに、いろんなことがあった。元気な赤ちゃんも授かった。パパのガンがなくなった。たくさんの人に助けられて、感謝という意味はしっていたし、感謝もしてきたつもりだけど、心から本当に感謝・感動・感激というのを体感したことは、初めてのような気がする。ただただ、皆さまにありがとうございます。そして、神さま、ありがとうございます。と神棚に手をあわせる。

2月10日、外来でリツキサン投与。13日、最後の抗がん剤フルコース。25日が最後のリツキサンで治療が終わる。あとは先生の勧めでPET検査をする。パパの精神力のおかげで、入院後1ヶ月ぐらいしたときから、病気への心配はなくなった。今の心配は、歩けないことぐらい。。。それも全く歩けてないときに比べると松葉杖ついて歩くスピ−ドが早くなったし足取りもとってもスム−ズ。無理だけしないで欲しい。

PET検査の結果。先生から正式に「寛解です」という言葉を聞く。不思議だけどそんなに嬉しくなかった。「完治です」ではなく、「寛解です」だから。実際、「寛解」という単語も、パパが病気になるまでは聞いたこともなかったし、当然、意味も知らなかった。「寛解」を辞書で調べると、「病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。」とある。ガンがなくなって、退院もできて、少しづつだけど杖ついて歩けるようにもなってる。喜んでるのは事実で感謝もしているが、「寛解です」という言葉には複雑な気持ちを持った。

次のPET検査は半年後の9月。主治医の先生は、もし再発するとしたら、1年以内と言ってた。それが血液のガンの特徴だと。

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