毎晩襲う胸の激痛は、もう2年ぐらい前からある後遺症だから。。。この胸の激痛に加えて腰が痛いと言い出した。
平成14年2月。腰にベルトを巻いて、一緒に北海道へ行った。
帰ってすぐ、沖縄に行ったときには突然高熱が出る。まだ沖縄の人たちですらセーターを着ているのに、短パンにTシャツ、ビーチサンダルで活動するから風邪でも引いたのだろう・・・と。あとで考えたら、これも悪性リンパ腫の症状のひとつだった。
ただの後遺症や坐骨神経痛じゃないような気がしだした頃、足がかゆいと言い出した。そのかゆみも尋常じゃない。血がでてるのに、まだかきむしる。市販の痒み止めも効かない。とにかく、Fe(鉄)のサプリメントを購入し、それを水で溶かして足に塗った。かゆみは止まるが、明らかにおかしな症状。「パパ、血液検査だけでもいいから病院へ行って受けてきて」と言うも、「うん。わかった。」っと言うのだが、いっこうに病院へ行こうとする気配はない。
そうこうしているうちに、次は目がかゆいと言い出した。しかも、目の玉のウラがかゆいという。鼻の穴の奥がかゆい。耳の奥がかゆい。舌がかゆい・・・。誰が聞いても、おかしな症状。やっと病院へ行って血液検査を受けてきた。検査結果を聞きに病院へ行くが、病院のお盆休みやパパの仕事の合間となかなか合わず、検査から1ヶ月近く過ぎた頃、やっと病院へ行くことができた。
「ん〜よもぎアレルギーが出てる以外は、白血球が高いということかなぁ〜」と言われたというので、「理由は?」と聞くと、「先生もわかんないんだって!」とケロっとしてるパパ。希望的観測も助長し、じゃあ単なる肋間神経痛?少し前は坐骨神経痛で、今は肋間神経痛??毎日ある胸の激痛も、その頻度が増え始め、いよいよ激痛が全身に生じ始めていたのにもかかわらず、仕事だからと何度も海外にまで出張に出かけていた。
帰ってくるたびに、今まで見たことないような疲れた顔をしているパパ。痛み疲れという顔。そんな頃、血液検査を受けた病院から突然連絡がある。「紹介状を書くから大学病院へ行くように」と。
この頃すでに、日本製の鎮痛剤では効かなくなっていたようで、アメリカで勝手に買ってきた、強い鎮痛剤をバカのみしていたパパ(こっそり飲んでいた)。アメリカで買ってきたのをバカのみしているのを見つけた私は、これをすぐに捨てた。「パパ、ちゃんと病院へ行って!」東京医科大学病院へ。
平成14年8月11日、MRIを受けた。検査の結果は、縦隔腫瘍だという診断。ガンでもなく悪性リンパ腫でもなく「縦隔腫瘍」と言われた。一般的に「腫瘍」と聞くと、そのままガンをイメージしてしまう。ただ悪性と良性があることぐらいは知っていた。パパの腫瘍が悪性ではないことを願うばかりだった。
9月4日、この腫瘍が、悪性かどうかを調べるために生検をするという。胸に針を刺して細胞を採取し、調べる検査が明日なので、前日から2人で東京へ。検査の結果は9月18日。絶対!ワタシも聞きに行こうと決めた。次の日、入院するであろう日のことや、パパの声だけではどんな状態かがわらりずらいので、ワタシたちはFOMAを2台買った。これからはパパの顔をみて電話ができる。うれしいな。
・・・あと、パパにヘンなのが寄ってこないように、抑止効果を狙ってです(笑)
孫子の兵法「戦わずして勝つ」です。 (^_^)v
*ちなみにパパのパンツもハートマークいっぱい(笑)水際作戦ですネ。
パパがワタシと離ればなれになる時の、いろいろと戦略練るのに忙しいワタシです。