一緒に楽しく治そう!悪性リンパ腫(ガン)
トップページパパと悪性リンパ腫物語パパと愛妻コラム一緒に学ぼう!一緒に考えよう!一緒に話そう!げんきの秘訣パパと愛妻おススメの本
 
 
がん一緒に治し隊について
隊員専用ページへ
お世話になってる医療機関
血液検査結果ファイル
ココロがけていること
一緒に学ぼう!
ガンって・・・なに?
悪性リンパ腫・ガンの原因について
ガン治療の定番:三大治療方法
カラダに優しい注目の治療方法
免疫学を学ぼう
一緒に考えよう!
病院選びFAQ
病院と医師と患者の関係
医療保障・保険・福祉について
一緒に話そう!
最愛の人がガンになった時
友人がガンになった時
信仰(宗教)のススメ
地球環境とワタシたち
悪徳商法には気をつけよう
 
 
 
 
 
 
ガン遺児応援育英募金
世界の子ども育英スポンサー
 
 
 
HOMEものがたり>パート1>第5
   
 
一緒に楽しく治そう!
+パパと「悪性リンパ腫」物語+

by linda whom papa loves 
パート1:病名は「悪性リンパ腫」非ホジキン:びまん性大細胞B型 ステージ4
5章:病名がわからない苛立ち

物語の目次をみる 

実は、入院の日程を何度か変更したという理由で、この日に入院を希望するも、手術のスケジュールがとれないなどの理由で、一旦は病院に入院を断られたりもした。重病患者が優先だと言ってるわりには、日程を変えたという理由で入院を断わられた時は、とてもショックだった。断られたことがショックなわけでなく、人の命を救う病院が、入院予定を変更したという理由で、断るという理由に失望した。

「わかりました。じゃあ病院側が指定される日で結構ですが、その間の主人の命の保障をしてください。」すると、担当医が変更になることを条件に、こちらの希望通りの日程に入院できた。できるのなら最初にこの提案を言ってくれていれば、お互い気持ちがいいのにと更に思ってしまう。確かに予定をコロコロ変える、こちらが悪いのだが、長期の入院が前提な場合、そんなに簡単に入院できるわけもない。入院の費用だって必要なのだし、仕事をしている人であれば誰もが同じだろう。

パパの入院後、検査の間に買出しに行って、部屋に戻ると外科の主治医の先生が来てた。パパと先生が話しをしていた様子で、パパが私に「なんだか病気がちょっと違うらしい」と(?!)いう。パパは検査で看護婦さんに連れられて出かけ、先生が、次のオペまで少し時間があるというので、詳しくお話聞く。

まずは、先生に・・・「先生とは今日初めてお会いするし、お互いの面識も歴史もないので、これから全面的に信頼するためにも聞いておきたい」と説明し、先生のキャリア、ご経験、この担当分野について聞いた。ムッとされるかな?? とか思ったけど、しっかり、はっきり答えてくれた。「聞いた話ですが、外科の先生ってすぐに切ったりハツったりするのが好きだそうですね?」と言うと、「私達は余計なことは一切しません」との事(笑)安心した。入院の受付には失望したけど、先生は良かった。(率直な感想です)

先生の話は、パパの病名が実ははっきりしてない。病気が特定できてない。と続いた。最悪の最悪の最悪の可能性、否定できない疑いなどを聞かされて絶句した。というか、呼吸するのを忘れてしまった、空気の流れがとまった、その時のワタシがいた空間や感情は、言葉にするのは難しい。「なに言ってんの?この人?それ誰のこと?」という感覚だったような気がする。

とにかく、このまま当分、病院にいようとまず飛行機の時間を変えた。このとき、いろんなことが頭にめぐった。気丈夫でいないと!パパが心配する!!っと言い聞かせ、何も考えない、まだ何もわからないんだからと、何度も何度も言い聞かせ、パパがお部屋に戻る間、お菓子たべたり、パン食べたり、TVみたり・・・とにかく落ち着かない。それでもこの日は、どうも混乱してしまっていたみたいで、とりあえず帰りたくなかった。でもずっとビ−ビ−泣いていても、パパがもっと心配するだけなので、最終便で帰ることにした。というか、パパに予定は変更しちゃダメだ。と言われたので仕方なく帰った。帰りのタクシ−の中、飛行機の中、ラビ−トの中、またタクシ−の中、涙がとまらなかった。帰宅。夜中12時。パパに「家に着いた」コ−ル入れて寝ようと思ったけど・・・涙が朝まで止まらなかった。

生まれて始めて聞いた病名、「悪性リンパ腫」の可能性がありますと言われた。血液のガンですと説明された。しかも臓器に浸潤している可能性があるとも言われた。ただ元東京知事の青島さんも、渡辺謙さん(白血病)も、同じような病気ですが当病院で治療されて治ってます。っという励ましのような先生の言葉も、その時の私には無意味だった。激痛に苦しむ頻度が増し、ひとりで歩けなくなって、首から下の感覚が麻痺してしまっていたパパ。一体なんの病気なの??? ただ望むのは、症例のある病気であること。過去に例のないような病気でありませんように・・・と祈った。

10月9日、もう泣かない!と決めた。まだ、わからないんだから。勝手にいろんな想像もしない!そう決めたはずなんだど、何度も何度も言い聞かせてもパパの話になったり、ふっとしたとき、パパを思い出しては涙が出る・・・止まらない。そんな時、方位のことでお世話になっている先生が大阪にいらっしゃるというので、すごく会いたくなった。

先生は、お忙しいのに快く時間を作ってくださり、パパの話を聞いてくれた。先生は、終始一貫、「とにかく信じること!」と言う。そうだと思う。シンプルだけど、私が信じないと、と思う。少し落ち着いて、物事を考えられるようになった。ちょっとしたパニック状態の頭の回路がやっと、正しく伝達できるようになってきた。先生には本当に感謝。でも、やっぱり早く病名がわかって欲しい。どんな病気でもいい。病名がついていれば臨床はあるはずだから。原因さえわかれば、誰がなんと言おうとワタシが医者になってでも、パパを治そうと。しかし、原因がわからないっていう状況が1番辛い。

こんな調子で、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、ワタシの頭の中は、毎日おお忙しでした。誰がガンなの?そう、ガンはパパでワタシじゃないのに、まるで世界の不幸を一身に受けたような悲劇のヒロインになっていたバカなワタシだったのです。病名がわからずいやなのは、パパ本人なのに。

*実はこのころ、先生は、パパと同じ悪性リンパ腫の末期だったのです。後日それを知って言葉がでない程、ショックで驚きました。が、先生、現在は完治されました。

戻る  目次 次へ
 
   
 
all rights reserved (c)2005-2006 produced by COCOLABO 本ページ内に掲載の記事・写真などの一切の無断転載はご遠慮ください 

| HOME | サイト運営 | がん一緒に治し隊 | リンクについて利用規定 | プライバシー | お問合せ | サイトマップ |